[Q1] 出身学部は翻訳分野を選択する際に問題となるのでしょうか。
[Q2] どの程度英語ができれば翻訳者(英和)になることができるでしょうか

[Q1] 出身学部は翻訳分野を選択する際に問題となるのでしょうか。

[A1] 「文科系ですけど、勉強して医薬翻訳の仕事ができるようになるものでしょうか」という質問をよく受けます。それに対して、本会ではこれまで次のように答えてきました。

 「確かにハンディはあります。でも、それは決定的なものではありません。医薬翻訳者が扱う範囲はものすごく広く、医学部や薬学部を出た人でもまだまだ勉強すべきことがたくさんあります。ですから、理科系の人が9勉強しなければならないとすれば、文科系の人は10勉強しなければならないという程度のハンディです」

 面白いことに、理科系の人から「私、理科系で日本語の文章が下手なんですけど、医薬翻訳の仕事ができるようになるでしょうか」という質問を受けたことはありません。

 もしも、そういう質問を受ければ、次のように答えたいと思っています。

 「確かにハンディはあります。でも、それは決定的なものではありません。翻訳者が身につけていなければならない日本語の知識は膨大なもので、文科系の学部を出た人でもまだまだ勉強すべきことがたくさんあります。ですから、文科系の人が6勉強しなければならないとすれば、理科系の人は10勉強しなければならないという程度のハンディです」

 そういう質問がないということは、みな日本人なら日本語ができるものだと、あまりも無邪気に信じているということです。無邪気と言えば、薬学部や医学部を出たから専門知識があると考えるのも、あまりにも無邪気にすぎます。これには、薬学部を出て本会の講座を受講したSさんの証言もあります。

 「自分には専門知識があると思っていたけれども、それは実は錯覚で、文科系出身でもよく勉強している人にはかなわないことがわかりました」

 翻訳ができるためには、一般に「外国語力」と「日本語カ」と「教養」が必要であると言われています。これが医薬翻訳になれば、「教養+専門知識」が必要になります。それぞれを10点満点とすれば、「外国語力」と「日本語力」と「教養+専門知識」の点数を合計したものが、その翻訳者の力であるということになるそうで、少なくとも巷ではそう信じられています。

 Aさんがそれぞれ10点、2点、10点であるとすれば、計22点となり、いずれも7点であるBさんの21点を上回ることになります。ところが、実際に翻訳をさせてみると、明らかにBさんの方が出来がいいのです。どうしてこういうことになるのでしょうか。

 これについて、本会の受講生で、現在この分野で幅広く活躍しているNさんが面白いことを言っています。翻訳は足し算ではなく、掛け算だというのです。確かに掛け算をしてみると、Aさんは200点、Bさんは343点となり、Bさんが圧倒的に上になります。Nさんはさらに、どれかひとつが0点の人が少なからずいると言います。そうなれば、あとのふたつがいくら満点でも、結果は0点にしかなりません。

 ここで0点というのは、何もできていないというのではなく、仕事ができるレベルではなし、ということです。

- 辻谷真一郎氏の著作から抜粋

 上の文は医薬翻訳志望者を対象とした冊子から抜粋したため、『医薬翻訳』に関して論じたものではありますが、この内容は他の分野の翻訳にも当てはまります。

[Q2] どの程度英語ができれば翻訳者(英和)になることができるでしょうか。

[A2] 英語が何もかも完璧にできる人など一人もおりません。通訳になろうとする人と、翻訳者になろうとする人とでは、身につけなければならないものが違います。

 いちばんわかりやすい例を挙げると、dog = 犬がわかっていなければ、通訳では冷や汗をかくかもしれませんが、翻訳なら辞書を見ればすむことです。それじゃあ、これも知らなくてもいい、これも知らなくてもいいという形で、このことをどこまでも突き詰めていくと、翻訳をするのに絶対に必要な知識というものは、ほんのわずかにすぎないという結論に行き着きます。理論的にはこれまで勉強したことのない言語でも、辞書さえ引けば翻訳することは可能ですし、現に本会の代表は、辞書だけを頼りにそれまで全く知らなかった現代ギリシア語を訳して、高い評価を受けています。

 もちろん、実際問題としてはdog=犬のようなものは自然に覚えてしまいますし、いくら単語など知らなくてもいいと言っても、たくさん知っているほど辞書を引く手間も省け、気持ちの上でも余裕が出る分だけ、間違う可能性も少なくなることは確かです。そういう意味では上の理論は一見、空虚なものに見えます。

 ところが、現実を眺めてみると、この一見空虚に見える理論を応用する以外に、翻訳志望者の英語力の問題を解決する方法はないように思われます。

 日本では中学から英語を教えています。高校まで6年間勉強し、大学で英文学などを専攻する人たちはさらに4年間勉強することになります。何かあることをマスターしたら次に進むというのではなく、どんどん難しいことをやっていって、そこで何点とれるかだけを問題にしているわけですから、同じ70点といっても、人によって英語に対する理解度は同じではありません。点数を聞いただけでは、何がわかっていて何がわかっていないのかがまるでわからないのです。何か肝心なことをそのままにしておいても、次から次へと教えられることをそれなりに覚えていけば、学校のテストではある程度の点数はとれるものです。

 翻訳を志すのは、早い人で20代の前半、大半は30代から40代にかけてです。そういう人たちが同じところに集まってくるとなると、英語に対する理解がまるで違います。単に量的な問題ではなく、質的にも大きく違います。ウロ覚えもあれば、間違って覚えていたり、記憶が風化して変質していることもあります。そういう人たちが百人もいるなかで、ひとりひとりの英語力を確認し、何が足りないかを見つけ出してその足りない知識を授けていくということは、ほとんど不可能に近いです。それにまた、翻訳講座とは本来、英語を教えるところではありません。

 こういう状況に対して、現実的な方法がひとつだけあります。中学で3年、さらに人によっては高校、大学と勉強してきた英語なのですから、翻訳をするにあたって、とりあえず今の知識で十分であると仮定するのです。あとで詳しく説明するように、本会の考え方ではそれで本当に十分なのですが、急にそういうことを言い出してもいきなりは信じてもらえないと思いますので、「とりあえず」そう仮定することにしておきます。

 少し表現を変えますと、これまで学校で勉強してきたような英語を、これ以上いくら勉強しても、翻訳の上達にはつながらないと思ってください。翻訳ができるようになるためには、これ以上知識を増やすのではなく、これまでにないモノの見方が必要なのです。

 よろしいですか。ここからが大切ですから、よく聞いてください。英語の知識はこれまで身につけたもので十分です。言い方を変えれば、これ以上の知識は、実際に翻訳という作業をしながら身につけていく以外には身につけることができないものなのです。

 英文科を出て、翻訳を志す人のなかにnot butを間違う人がいました。It is no a sheep but a dog.を「これは羊ではない。しかし、犬です」という具合に訳すのです。みなさんは、こういう人を見て、「英語力がない」と思いますか。いや、そもそも英語力とはどういうものだとお考えでしょうか。この人はきっと、英語の意味はわかっていたのではないかと思うのです。「羊じゃなくて、犬なんですよ」という意味そのものはわかって、そういう意識とは別のところで、半ば機械的に「これは羊ではない。しかし、犬です」という文を作っていたのではないかと思うのです。学校ではnot butを「〜ではなく〜である」と訳すところまでを含めて、英語の力をして採点しますが、よく考えてみるとこれは純然たる英語の力ではなく、文部省が定めた約束事を知っているかどうかを見ているにすぎないわけです。

 英語が難しいと思っている人の多くは、文脈によっていくつも違う意味に使われるから難しいのだと思っています。たとえば、「produceは生産するという意味になるかと思えば、製作する、製造するや、産出するにもなるし、生み出すにもなる。わけがわからない」というものです。

 ちょっと待ってください。英語の意味はわかっているのではないですか。どれもこれも何かを作ったり生み出したりするということで、同じ意味ではありませんか。

 その証拠にproduceのあとに、carsが来ても、good resultsが来ても、tomatoesが来ても、理解できないものは何もないと思います。仮にどれも「生み出す」としておいても、「自動車を生み出す」、「よい結果を生み出す」、「トマトを生み出す」と、意味はよくわかるではありませんか。とすれば、produceが難しいと思っていたのは、実は意味の問題なのではなく、訳語の問題ではなかったのでしょうか。言い換えれば、英語の問題ではなく、日本語の問題なのではないでしょうか。

 そうだとすれば、produceの答えを英語に求めても徒労に終わるだけです。どういう英語といっしょに使われたらどういう意味になるかなんてことをいくら考えても、所詮日本語の問題なのですから、すべてはムダな努力です。carsがあれば製造かというと、生産になることもある。じゃあ、どういうときに製造になって、どういうときに生産になるのかというと、自動車を具体的な製品としてみたときに製造となり、経済的な観点から数字の上で見ると生産になるわけです。これは全く日本語の問題です。

 (中略)では「これ以上の知識は、実際に翻訳という作業をしながら身につけていく以外には身につけることができないものなのです」ということはどういうことでしょうか。

 それは「英語の知識」として身につけることはもう終わりにして、これからは「わからないことに出会ったときの正しい手続き」として身につけていきましょうということです。さきほどのnot butのような易しい例をみていきましょう。

 not〜butを「〜ではなく〜である」と覚えるのは、知識として覚えるやり方です。これを知らない人はまずいないと思いますが、仮に知らなかったとしてIt is not a sheep but a dog.という文に遭遇したとします。この文、動詞がひとつです。そんなとき、日本語ではどうなりますか。「羊ではない」ではなく「羊ではなく」になりますね。そのあとにbut a dog.とあるのですから、「羊ではなく、but犬」とくれば、もう答えは出たも同然です。実際に英文を読むときには、文脈もありますから、それを頼りに読むことができます。

 It is not sheep but a dog.のnot butを知らなくてもいいのです。知らなければこの文がわからないというのではなく、この文を読み解くうちに、not butがわかるようになるのです。

−「改訂版 医薬翻訳ハンドブック」(辻谷真一郎著)より

医薬翻訳ハンドブックについて

 「改訂版 医薬翻訳ハンドブック」には、このほかにも「いかに翻訳に取組めばよいか」について詳しく書かれています。トライアリストという会が当初、医薬翻訳講座を中心に立ち上げられたため医薬関係の例文を多く扱っていますが、医薬の文章は自分たちの体に関して書かれたものであり、機械などほかの分野よりも内容的には理解しやすく、また文学と異なり技巧的な文も少ないため入門書のなかで説明しやすいということから、医薬以外の翻訳者の方にとっても大いに参考になるはずです。ご希望の方はソレイアにお申し込み下さい(郵送料込みで1冊1000円となります)。

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