プロが教える医薬翻訳の極意

執筆:医薬翻訳者 辻谷真一郎 氏
通訳翻訳ジャーナル 2000年3月号掲載記事

「英語力も専門知識も不足していますから」というのは怠慢な言い訳にすぎません!単語の意味や専門知識を調べる労を惜しまず、作業の過程で遭遇する矛盾をひとつひとつ解決していく根気がありさえすれば、専門性の高い医学・薬学の翻訳は必ずできます。

辻谷真一郎 (つじたにしんいちろう) 1953年生。神戸大学卒業後、スペイン留学。帰国後、翻訳会社に就職。ヨーロッパ各語の医薬文献翻訳を担当。2年後フリーに。増え続ける翻訳会社からの注文をさばききれず、翻訳者養成講座を開設。スペイン語、イタリア語、フランス語を辞書なしで読めるのが最大の武器。ポーランド語を秘密兵器とする。医学書の蔵書2000冊。「医薬の文体を学ぶ本」で文体の標準を提唱。


  矛盾をひとつずつ棄却し、整合性を追求した駆け出し時代

 1ヶ月でやめた受講生にこんなことを言われたことがある。「よくわからないものを訳すのは拷問に近いものです。私たちのこんな苦しみなどきっとおわかりにならないと思います」

 ずいぶんと「見くびられた」ものである。学校で6年間も習った英語なら、文法はほぼわかっているだろうし、単語だって数千語は知っているはずだ。それ以上何がいるというのだろうか。

 私は駆け出しのころ、一度も勉強したことのない現代ギリシア語を仕事で訳したことがある。耳鼻咽喉科の論文だった。基本単語はおろか、前置詞も冠詞もわからない。とにもかくにも、辞書を引かなくてもわかる単語は1語もない。それが原稿用紙にして40枚もある。

 ひとつひとつ単語を調べ、文法書を読みながら意味を考えていくが、どこまで行っても闇のなかをさまようようなものだ。調べのついたものを手がかりに考えうる限りの仮説を立て、矛盾のあるものを順に棄却してゆく。この気の遠くなるような作業の果てに、たったひとつの整合性のある文章が残る。

 作業は難航した。なかでも「血の花びら」と訳せるものに出会ったときには困り果ててしまった。医学文献の訳文に「血の花びら」と書くわけにはいかない。途方に暮れて、そのあとの文に目を通していると、薬剤の名前が出てきた。なんと、その薬剤には血小板凝集を抑制する作用があるではないか。だとすれば、「血の花びら」とは血小板のことにちがいない。こうしてひとつの謎が解けると、次の謎も絶対に解けるという自信がでてきた。

 耳のなかの動脈のことなど、かなり詳しい記述もでてきたが、耳の解剖をひとつひとつ専門書と照合してすべて解決した。「純然たる音を聴く能力を調べる方法」や「会話を聴く力の検査」はそれぞれ「純音聴力検査」、「語音聴力検査」であることがわかった。最後まで解決できなかったのが「砂糖の中に入れて投与する」だった。生食水に溶かすのならわかるが、砂糖水に溶かすことなど聴いたことがない。わからない。ここだけは勘弁してもらおうか。いや、それではプロとして失格である。考えるだけ考えてみよう。そしていよいよ納品しないと間に合わないというときになって、それが糖衣錠であることに思い至った。

 あとで、翻訳会社の人から依頼主がすごく喜んでいた旨を伝えられた。現代ギリシア語の翻訳をしたのは好奇心のためでもなければ、名誉のためでもない。当時の私には、人がやりたがらない仕事をかき集めていく以外に、生活費を稼ぐ方法がなかったのである。

  技術文献の翻訳は犯罪捜査に似ている。捜査に思いこみは禁物

 よく「私は英語力も専門知識も不足していますから」と言う人がいる。単語の意味や文法は辞書に書いてある。専門知識もすべて本を読めば書いてある。だから、辞書を引く労を惜しまず、専門書を丁寧に調べ、作業の過程で遭遇する矛盾をひとつひとつ解決していく根気がありさえすれば、技術文献の翻訳は必ずできる。そういう意味では犯罪捜査に通じるものがある。殺人事件が起きた時点で、その事件の背景に通暁している刑事はいない。その点では、刑事は個別の事件について「専門知識」をもっていない。刑事は謎を解くプロセスの専門家で、被害者の人間関係をはじめ、あらゆることを徹底的に調べていく。専門知識がないから翻訳できませんというのは、被害者と面識がなかったので捜査はできませんというようなものである。

 捜査に思いこみは禁物だ。どんな小さな疑問もそのままにしてはならない。翻訳者もこのことを肝に銘じておく必要がある。ただ、そのためには、おかしいことをおかしいと感じることができる状態にしておかなければならない。まず、次のようなことを考えてほしい。

 学校では、I am a girl.が「私は少女です」、I am a teacher. が「私は先生です」と教えられてきた。こんなことをしていたら、何がおかしいかがわからなくなってしまう。その場面場面で、日本人ならどう言うかを考えていかなければ、問題の解決につながる疑問は出てこない。

 翻訳というものは、原文の内容に関する情報を伝えるものであって、原文の構造に関する情報を伝えるものではない。I am a teacher.を「私は先生です」と訳しても、それは原文の構造に関する情報を伝えたにすぎず、原文の内容に関する情報を何も伝えていない。「私は先生です」という日本語は私には理解できない。さらに言えば、こんな日本語はない。日本語なら「教師をしています」となるはずだ。そこを敢えて「私は先生です」というのであれば、そこに新たな情報がつけ加えられることになる。その人がよほどぼんぼん育ちで、自分のことを「私は先生です」と言ってはばからないのか。私の知りたいのはそういう情報であって、何でもかんでも「私は先生です」と訳されたら、まぎらわしくて仕方がない。

 This is a house which my father bought.という文があるとしよう。私にはこの文はさっぱりわからない。20年医薬の翻訳をしているが、こんな難しい文にはお目にかかったことがない。中高校生なら「簡単ですよ。これは私の父が買った家です」と言うだろう。幸か不幸か私は中高校生ほど頭がよくないので、この「私」という人物がどれくらいの年齢で、お父さんが家を買ったというのなら、今どこに住んでいて、その家は何のために買ったのか、住むためなのか、いくつかある別荘のうちのひとつなのか、投資のためなのか、まるでわからない。だから、試験でこの文だけを出題されたら、私は白紙で提出せざるをえない。

 こういう頭のいい中高校生でも、A special method will be necessary to resolve this problem.を「ある特殊な方法はこの問題を解決するために必要である」と訳す。訳すだけならまだしも、訳し終えたあとに、ひとかけらの悔恨の情もない。ちょっと待て。「この問題を解決するには、何か特殊な方法がいるんじゃないか」なのではないだろうか。

 その誤りを指摘すると、「私は英語力が不足しているので」とくる。問題なのは英語力ではなく、常に「主語+は」と訳しておかしいと思わないずうずうしさである。

 この場合、to resolve this problemの代わりにin such a situationを入れてみてもよい。「そのような状況では何か特殊な方法が必要になる」という訳になる。これを「前から訳すか、後ろから訳すか」という問題に還元してしまうからいけないのであって、大切なことは、どれが日本語として自然であるかという一言に尽きる。

 The special methodとくれば「この特殊な方法は」と訳してよいかという議論もあるが、日本人なのだからいくら頑張っても日本語の方が得意に決まっている。それなら、日本語の方から攻めていけばいい。訳文のなかでその方法のことが以前に問題にされているのなら、「この特殊な方法は」とすればよいし、はじめて出てきたのであれば、後ろの方を先に訳したあとで、何か特殊な方法「が」ということになる。してみれば、これまで英語の問題だと思っていたことが、実は日本語の問題にすぎないことがわかるだろう。

  日本語の思考がきちんとできないために、誤訳が生じる

 語順の点で、これと逆のことがある。As in other bone lesions, fatigue fractures are detectable at an earlier time postinjury with MRI than with radiographs.という文があるとしよう。英語でも技術文献では特に、文のはじめにさほど重要ではない要素をもってきて、二番目に主語と動詞を含む重要な要素をもってくる文が多い。そのことを頭に入れないで、何でもかんでも前から訳せというと、理解できるものもできなくなる。二番目に重要な要素が来ているのだから、「疲労骨折は受傷後早期に発見できる」ということがまずわかる。次にMRIとX線撮影とを比較して「MRIの方が早く見つけることができる」と書いてある。そのあとで最初に戻って、他の骨疾患(の場合)と同じくとあるのだから、「疲労骨折は他の骨病変と同じく、MRIの方がX線撮影よりも受傷後早い段階で発見することができる」ということになる。これを、それぞれの要素の重さを考えず、やみくもに前から訳すものだから、その過程のどこかで歯車が狂い、「他の骨病変にみるように、疲労骨折は、」などという意味不明の文ができてしまう。

 英語が正しく訳せないのは、英語の思考ができていないからではなく、日本語の思考がきちんとできていないからである。英米人は前から順に考えている。だから英語は前から考え、前から訳せという人がいる。私はそれはウソだと思う。英米人だって、As in other bone lesionsまで来た時点では、これはこの文のなかで副次的な要素で、重要なものが次に来ることを予測して読んでいる。次に来るぞ、次に来るぞという思いで、この最初の部分をいったんどこかにストックしているはずだ。そして、肝心な部分が来た時点でこの全文の情報を再構成することになる。

 だから、構文通りに訳すことは、英語の思考から遠ざかることになり、逆に日本人が日本語で考える通りに訳すことこそが、英語の思考を忠実に再現することになる。

 これまで書いたことを頭に入れれば、かなりの誤訳を防ぐことができる。ところが、日本語として理屈が通っている場合には、誤訳を見落としてしまうことがある。

 Fatigue fractures were first described by Breithaupt in German soldiers.という文を、「疲労骨折はドイツ軍のBreithauptが初めて記載した」と訳す人が多い。日本語を読む限り、別に矛盾は感じない。ところが、英文を見ると、inは何だろうかという疑問が生じる。おそらく、この人はsoldiersを軍と解釈して辻褄を合わせたのだろう。だが、ここでも捜査と同じで必ずウラを取らなければならない。捜査でも翻訳でも、ウラが取れなければ振り出しに戻るのが原則である。悲しいことに、辞書のどこを調べてもsoldiersが軍隊を意味することは書いていない。それならば、この仮説は棄却しないといけない。このBreithauptという人はどうやら軍医だったらしく、ドイツ軍にいたこと自体は誤りではないのだが、この英文はそうは言っていない。Breithauptという人がドイツ兵に疲労骨折の症例を認めてそれを報告したということである。

 このinをみるとき、正しく訳せないのは英語力が不足しているからだとか、専門知識が不足しているからだと言い切れる人がいるだろうか。本当に必要なものは、そういうものとは全く別のもの、どんな小さな疑問もけっしてそのままにしない誠実さなのではないか。

 医薬の翻訳といっても、一般の翻訳とほとんど変わるところがない。正しく訳せないのはむしろ、精神的な弱さによることが多い。よく日本人はオリンピックなどの国際舞台に弱いと言われる。あれと同じである。ふだんの力が出せれば勝てるのに、それができない。

  英語力の不足を言い訳にしない。もう一度辞書を引こう!

 そもそも、自分のできることをしていない人があまりにも多い。We have chosen to isolate the enzyme from mammalian cells.などという文があると、chooseは「選ぶ」という固定観念から抜けきれず、そのあとにisolate(単離する)が来ると、それだけで「単離することを選ぶ」は「おかしい」とパニックに陥ってしまう。そこで、後ろの方にあるmammalian cellsにつけて「哺乳類の細胞を選んで、この酵素を単離した」のように「自分にだけは」理屈の通った文にする。文法的には明らかに「違法行為」である。翻訳者の95%は程度の差はあれ、こういうことをしている。choose toは「〜しようとする、〜することにする」で「著者らは哺乳類の細胞からこの酵素を単離しようとした」だと教えてしまえば簡単だが、それではモノを解決するプロセスが全く身につかない。chooseを「選ぶ」とするのがおかしいのであれば、なぜもう一度辞書を引いてみないのだろうか。

 Catalase is ubiquitouly present in mammalian and non mammalian aerobic cells containing a cytochrome system, and with a few exceptions only strict anaerobes lack this enzyme.

 こういう文に出会うと、「ああ、だめだ。これは難しい」という思いが先に立つらしい。その結果、できることもできなくなってしまう。たとえば、strict anaerobesを「厳密な意味での嫌気性菌」とする人がいる。strictは用語ではないという思いこみである。この2語はれっきとした用語で、生化学辞典(東京化学同人)でも引けば「偏性嫌気性菌」であることがわかる。

 「with a few exceptionsのところがわかりませんでした」という人がいた。その人は「私は英語力も不足してますし」と続ける。それがいけないと言うのだ。そんなことを言っていたら100年たっても医薬が訳せるようにならない。

 いったんわからないと思うと、必要な手続きを踏まずに「この酵素が存在しないのは少数の例外である偏性嫌気性菌のみである」、「例外として数例に限っては偏性嫌気性菌にこの酵素を含まない」などと感覚だけで訳してしまう。

 この文の後半も先程の「重要な要素が二番目に来る文」と同じで、only strict anaerobes lack this enzymeの部分から確実に押さえていけばいい。翻訳は一種のパズルである。解決しやすい方から固めていくのが原則だ。それを、わかりにくい方から「例外として数例に限っては」と固定してしまい、今度は「その暫定的な訳にすぎないもの」をもとにして、残りを解決しようとするから、意味がずれてくる。

 英語には「偏性嫌気性菌だけがこの酵素を欠いている」と書いてある。ここで、翻訳の鉄則を思い出そう。「意味が同じである場合には、できるだけ単純な処理、できるだけ単純な構文を選択する。少しでも不都合があれば、それよりやや複雑な処理のなかから適切なものを選ぶ」

 すると、「この酵素がないのは偏性嫌気性菌のみである」とする方がわかりやすいことがわかる。そうしておく方があとのことが考えやすい。

 ここではじめてwith a few exceptionsの訳を考えていけばいい。それでもわかりにくければ、身近な例を思いうかべているとうまくいくことが多い。「英語ができないのは日本人だけだ」という文を考えてみる。そのことに関して少数の例外があるというのだ。こう考えれば、どちらに対する例外であるかがわかる。つまり、日本人にも英語ができる者がいるということなのか。それとも、日本人以外にも英語のできない民族がいるということなのか。日本人のなかに英語ができる者がいても、「英語ができないのは日本人だけだ」という命題に対して例外とはならない。一方、仮に「タイ人も英語ができない」のであれば、立派な例外となる。

 そういう手続きを踏んでいけば、この文は何も難しくはない。「この酵素がないのは、少数の例外を除いて偏性嫌気性菌のみである」

 そう書けば、この酵素がなければまず偏性嫌気性菌だと考えてよいが、偏性嫌気性菌以外にもわずかながらこの酵素がない細菌がいるということがわかる。ところが、ここでうっかり「この酵素がないのは、少数の例外があるものの偏性嫌気性菌のみである」としてしまうと、「偏性嫌気性菌には、少数の例外を除いてこの酵素がない(with a few exceptions, strict anaerobes lack this enzyme)」という意味にとられかねない。

 onlyやwithにはそういう怖さがある。けれど、それは英語力によって解決すべきものでも、専門知識によって解決すべきものでもない。日本語での思考がきちんとできれば、ほぼ100%解決するものである。

 それでは専門知識は不要かというと、けっしてそんなことはない。仕事である限り、常に時間との勝負になる。専門知識が多ければ多いほど、翻訳速度は速くなる。そういう意味では、専門知識は絶対に必要である。一定の期間で100枚できるのなら仕事が出るが、70枚しかできないのなら出ないというようなことはいくらでもある。そんなとき、スピードがあるほど、駆け引きの幅は広くなる。

 生活に困らなくなった今、私には昔のようなハングリー精神は残っていない。もう一度、現代ギリシア語を訳せと言われても、あんな苦しいことはもうできないだろう。今は専門知識だけが頼りである。


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